熊本北区のだご汁「亭ノ元(ていのもと)」さん。豆乳味ときくらげと人参ソース!

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今日は熊本名物「だご汁」のお話です。
熊本にはだご汁やさんがたくさんあります。
味は、味噌か醤油が主ですが
「だご汁街道」とPRし、30店舗以上のお店がある
阿蘇方面のだご汁やさんは
ほとんど、みそ仕立てが多いように思います。

熊本市内の飲食店ではしょうゆ味もよく見かけます。
私は断然、しょうゆ派です 😉

 

ちなみに天草のだご汁はせんだご汁と呼ばれ
ジャガイモとサツマイモを混ぜて作った生地でだんごを作り、
魚からとっただし汁に、具は海の幸の貝やエビなどを入れた
すまし汁仕立てだそうです。
私はまだ食べたことがありません(>_<)


 

だご汁は熊本名物と認識されてますが
元々は大分県の郷土料理だったそうです。
阿蘇と大分は隣合わせだし
大分から入ってくるのは十分あり得そうです。
だご汁の始まりは、農作業で忙しい農家の人たちが
食事の手間と時間を節約するために、
簡単に作れて、腹持ちも良いということで、
食べられていた物が広まったようです。

だご汁は、小麦粉と水を硬めに練り、
極太の麺状や、丸く伸ばしたり、
ちぎったりしてだんご状にします。
具はなんでもありですが、
大根、里芋、ゴボウ、にんじん、カボチャなどの根菜や
椎茸、鶏肉などが定番です。
しょうゆかみそ味に仕立て、
作っておいただんごを入れたらできあがりです。

熊本には有名なだご汁やさんがたくさんありますが
今回熊本市の北区にある「亭ノ元(ていのもと)」さんに
行ってきました。
我が家からはそう遠くありません。
このお店の存在は昔から知ってましたが
近いからこそみたいな感じで
なかなか行く機会がないままでした。

周りは自然がいっぱい…と言うより、
とっても田舎にあります。
お店は古民家風のたたずまいで、
その田舎な風景ととてもステキに調和していました。

私には見慣れ、慣れ親しんでいる光景ですが。
着くまでは「こ、ここで合ってる?」と思うかも。
「西浦の荒神さん」目指して行けばOKです。

「西浦の荒神さん」とは荒神様をお祀りし、
西浦地区に鎮座していることから地元では
「西浦の荒神さん」と呼ばれ、参拝者がとても多い神社です。

 

「西浦の荒神さん」のすぐそばにある
だご汁や「亭ノ元(ていのもと)」さんに到着。

ちょうどお昼どきに行ったら
なんと1時間待ちと言われました 😯
1時間待ちなら…と一度山を下りて
買い物を先に済ませよう!と時間つぶし。

少し早目の11時頃行くのが一番スムーズのようです。

時間になりお店に向かう途中
わざわざ「お席が用意できました」との
お電話を頂きました。

 

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メニューはしょうゆ仕立てと豆乳仕立てのだご汁の単品と
ご飯、塩サバがついた定食があります。

食いしん坊の私は漂う焼き魚の
匂いに耐え切れず「定食」を注文。

母は豆乳だご汁(単品)

娘は醤油だご汁(単品)

基本的に食べ物に関して「冒険」をしない私は
「豆乳だご汁」など絶対ムリなのですが
母のをちょこっと味見したところ
なかなかおいしかったです。
でも、かなりのボリュームあるので
食べているうち飽きてしまうかも… 😥
(母は飽きるなんてことなく、とてもおいしかったそうです)

 

「亭ノ元」さんのだご汁の具は

大根、ニンジン、ごぼう、里芋、白菜、そしてきくらげ。
きくらげ入りのだご汁は初めてでした。
野菜はかなり大きめに切ってあり、食べ応え満点!
そして入っていなかったのが鶏肉。
それでも十分なおだしが出ており、上品な味。
だんごの形は太めの棒状。
ほどよい固さとモチモチ感がありました!

定食、単品とも酢のものとデザートがついています。
デザートはヨーグルトです。
このヨーグルト、とても粘り気があり、手作りぽい感じがしました。
そしてオレンジ色のソースは何とニンジンソース!!
食べながら「なんだろう、なんだろう?」と…。
お店の方に尋ね「ニンジンソース」と聞くと
確かに…。ニンジンの味でした。
私はニンジン苦手ですが、このソースはおいしく頂きました 🙂

 

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定食か単品か、ですが
一般的な女性は単品で十分満腹になります。
かなりのボリュームです。

定食にしかついていないのが塩サバと白和え。

確かに塩サバはおいしゅうございましたが
塩サバはいつでも食べれますし…。
白和えは私は頻繁に作りますし…。

空腹時の焼き魚の漂う匂いにガマンできず、定食を注文。
お腹は満たされたのに、残すのはもったいないからと
ご飯も完食してしまうという、
典型的なブ○の考え方と行動です。
「ダイエットの話はどこにいったんだあぁぁ 」と
またもや自己嫌悪でした 😥

しかしこの自己嫌悪。
潜在意識にいい影響を与えませんので
ここは、心を入れ替えてダイエットを継続する。を
目標にいたします。

 

今回は雨が降っており
せっかく「西浦の荒神さん」のすぐ近くまで来たのに
お参りもしませんでした。
今度行った時はお参りもしたいと思います。

 

熊本近郊であればだご汁や「亭ノ元(ていのもと)」さん
ぜひぜひおススメです!
行くのムリ~な方は
だご汁は栄養もあるし、ボリュームもあるし
寒い日は身体も暖まります。
だんごをこねるのがちょっと大変ですが
もし、ホームベーカリーお持ちの方は「こね」コースで簡単にできます!
ぜひ、作ってみてください 😳

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

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トイレ掃除中の雑念を消して、昔、感じたトイレへの愛おしさをもう一度…。

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何事にも熱しやすく冷めやすい私ですが
習慣となっているものがあります。

1つは毎日のトイレ掃除。
7年間ほどやっています。
毎日…を目標ですが
月に1~2度は
「今日できなかった~」って日もあります 🙄

脳梗塞で入院中の1つの気がかりはトイレ掃除でした。
毎日、とまではいかなかったようですが
主人がしてくれていたのでひと安心 😳

今は自宅療養中で専業主婦同然です。
トイレ掃除をいろんな時間にやってみました。
お風呂に入る前、
昼食後の居眠り防止に、
気が向いた時・・・など。
結果、「朝からする」が一番、気持ちいいです 🙂

 

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「毎日のトイレ掃除」のきっかけは
金運がよくなる・・・みたいな本を読んだことです。
確か小林正観さんの本だったと思います。
「素手」でのトイレ掃除が推奨されておりました。
当時、手袋なしのトイレ掃除など考えられませんでしたが
「金運がよくなるなら!」と素手掃除を決意!!

しかし、最初はとってもとってもイヤでした。
掃除が終わった後は5回くらいせっけん手洗いをし
アルコールをブンブン吹っかけていました。

どれくらい過ぎたころからでしょうか・・・
便器の中を素手で洗っていると
「心地よい」的な感覚になってきました。
そして便器を拭きながら
「私たちのう○ちやおし○こを受け止めてくれてありがとね」
という気持ちが芽生えてきました。
あの時は本当に不思議な感覚で、
「きたない」なんて思わないし
むしろ「愛おしい」に近い気持ちだったように記憶してます。

いつのころからなくなったかも覚えていないのですが
その気持ちは今は湧いてきません。
先日「トイレ掃除しながら何を考えてるかな~」と
注意してみるとめっちゃいろんな事を考えていました。
瞑想で勉強した「雑念」です。
次々にいろんな事が浮かんできます。

最悪なことに内容は、あいもかわらずネガ系が多いです・・・。
「こんなはずじゃない!私はこんなこと考えたくないのに」と
思うのですがもうすでに浮かんできてしまっているのです 😥

「あの時、ああすればよかった」
「こうしてれば変わっていたかな」
「今から何ができるだろう」
「あの時めちゃムカついた」
「もう少し若ければ…」
「今ならこうするのに…」

ほぼぼぼ過去の物事への後悔です。

意識している部分では前向きなことを考えているのですが
潜在的には、かなりクラそうです 😥
こういう思考が浮かぶのは
トイレ掃除中に限ったことではありません。
食事の準備中、掃除中など家事の時間は要注意です。

私は、ずっと以前から無意識の部分では、
ネガ系の思考を充満させていたのでしょう・・・。
目的や意味のある考え事以外の「無」にならない時間、
家事の時間、仕事の合間、運転中など。
そしてその思考が今の私を作り上げている・・・ 😥

ただ、違うところは、
今は「無意識の部分ではかなりクラいよ」ということを
自分で知っているということ。
そして「じゃあどうする?」もわかっているということ。

余計なことは考えない。
そのために「お守りの言葉」「天国言葉」を唱えています。
それでも「は?なんでこんなこと考えた?」ということがあれば
「ホ・オポノポノ」でクリーニングしています。

 

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便器に対し、感じたあの不思議な感覚「愛おしさ」。
できる事なら、もう一度感じたいです。
あの頃、何を考えながらやっていたのか
あまり覚えていませんが
「ありがとうございます」を唱えたりしていた記憶があります。
願望のアフォーメーションもしていたと思いますが
「ただ言えばいい。言ってたら願いが叶う」と
とっても単純に考えていたように思います。
まあ、それはそれで間違いではないのですが
今は潜在意識のことを勉強し、
あの頃よりは知識も増えました。
せっかくなのでこの知識、活かしたいです。

「お守りの言葉」「天国言葉」を唱えていると
過去を悔むようなことを考えるスキがないので
変な思考の渦に入っていくことがありません。
「トイレ掃除終わった!次、何する?」みたいな感じで
不思議なくらい物事がスムーズに動きます。
ネガティブなこと考えてたな~ということがあれば
ぜひぜひ唱えてみてください!

「お守りの言葉」
「天之御中主様(あめのみなかぬしさま)、お助けいただきましてありがとうございます」

「天国言葉」
「愛してます、ついてる、うれしい、楽しい、感謝してます、幸せ、ありがとう、許します」

「ホ・オポノポノ」のクリーニング
「ありがとう、ごめんなさい、許して下さい、愛しています」

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

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入院中の熊本地震。熊本城が崩れる姿が悲しくて寂しくて。

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来月で脳梗塞発症から1年です。
いくつかの後遺症はあるものの
生きていくのに支障はありません。

2016年3月11日転倒し、おでこを強打。
3月14日、おでこを強打した際の
反動(?)で首の後方に脳梗塞を発症。

10日の急性期入院後
3月25日リハビリ病院へ転院。
約3ヶ月の入院を経て7月中旬に退院。
発症から約4か月の長い長い入院生活でした。
現在自宅療養中です。

入院中の4月16日未明、熊本地震が起きました。

前震であった4月14日21時半ごろの地震。
すぐに娘に連絡したところ、大丈夫とのこと。
近くにすむ80歳近い母の様子も確認できました。
翌日は看護師さんやリハビリ先生方、患者さんたちと
前日の地震の話ばかり。
まさかこの日の夜中に本震があるなんて
夢にも思ってもいませんでした…

 

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16日午前1時半ごろだったでしょうか。
すごい揺れ、衝撃で目が覚めました。
えっ?と思ったら火災報知機が鳴りだし
この病棟で火災が起きてるとの放送が繰り返されます。

数分後。看護師さんが「本館に避難します」
6階に入院していたのですがエレベーターは使えないため、
自力歩行が可能な人から避難が始まりました。
私はまだ車イスだったため後回し… 😥
ただ火災はおきていない事もわかりました。
大きな揺れによりスプリンクラーが壊れ、水が出てしまったため
「火災発生」と認識されただけでした。

その点は安心したものの、水が流れてくるし、余震はおさまらないで
待っている時間がとても長かったこと。
そして年齢的には他の患者さんより若いのに、
何もできない、立つことすらできないことにもどかしさを感じました。

避難先の本館は数年前に新設された建物ですので
余震が続いていましたが、安心はできました。
寝床は、ロビーに所狭しと敷かれたマットです。
もともといた病棟の患者さん全員が
避難してきているため、大変な状態でした。
ただ、回復期病棟の患者さんで高齢者は多かったですが
ものすごく重篤な状態の人はあまりいなかったと思います。

娘とは地震直後に電話がつながり、みんなの無事を確認。
主人と娘、近くに住む姉と姉の長男、
やはり近くにすむ1人で住む80歳近い母。
近くの小学校に5人で避難し、一夜を明かしたそうです。
電気、ガス、水道がストップし
中でも水道復旧に時間がかかり、大変だったようです。
幸い、自宅には大きな被害はなく、翌日には帰宅。

私は、避難所さながらの状態のロビーで3日ほど過ごしましたが
水にも食糧にも困ることなく、外の様子はテレビで見るだけ。
そこは自分がよく知っている場所なのに
まるで他県で起きている地震の様子を見ているような錯覚に襲われ
「熊本で地震が起きた」という実感はありませんでした。

家族から聞くと、道路はいたるところに起伏が起き、
どこもかしこも大渋滞。
小さながけ崩れや、家屋の倒壊寸前、看板の落下など
それはそれはひどい状態だそうです。
私はそれを直に見るわけではなく
水や電気、食料にも困ることはなく、
いわば何不自由なく暮らせる環境にありました。
自分では「ありがたいな」と思ったのですが
私たち患者がロビーにマットを敷いて過している姿は
姉や娘には異様な光景と写ったようです。

私たちはそこで3日間ほど過ごし、別の病棟に引越しました。
そこは病院の中では一番古い建物で、使っていない病棟だったそうです。
もちろん、然るべき機関で安全確認等をした上での移動でした。
かなり狭い部屋ではありましたが
そこまで古いという印象はなかったです。

病棟に移ってからは、リハビリも再開し
日常が戻った感じでしたが
食事面では少しずつおかずが・・・。
備蓄していたものが底をついてきたのでしょうか。
ある日のおかずが、「しゅうまい2個」と「汁もの」だった時には
「やはり大変なのだなあ」と感じたものです。
それでも10日もすると食事面も
元の状態に戻って行きました。

 

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姉は会社に大きな被害が起き、1週間ほどの休業後
希望者は福岡支社での勤務となりました。
熊本再開まで1カ月ほどかかったでしょうか・・・。

主人の会社(私の勤務先でもある)は、工場が甚大な被害を受け
お菓子が作れませんので、全てのお店が休業でした。
主人は本社勤務のため、出勤していましたが
工場、店舗のスタッフは勤務できない状態だったようです。
営業再開までには数カ月かかり、大変な被害がありました。
今でも工場は機械の破損等で
100%の稼働ができていないそうです。

私は、地震の実感が薄く、ものすごく客観的に眺めていたのですが
熊本城の一部崩壊は、本当に悲しいものがありました。
別に熊本城が大好きだったわけでもないのですが
やはり、熊本人にとって熊本城はシンボルだったのだと思います。

脳梗塞発症時に入院していた病院は熊本城のすぐそばにあります。
そこからは熊本城が満開の桜とともに、とてもよく見えていました。
我が家からも少し移動すればお城の一部が見えていました。
あまりにも当たり前の光景で
何の感慨もなく過ごしていた日々でした。
熊本城の復興には30年かかると言われています。
生きているうちに見れるかどうか際どいところです 😥

今年の初詣は城内にある神社に行ってきました。
今まで通れたところが通行止めになり、駐車場も遠方です。
駐車場から歩いて行く途中には、地震の爪痕がたくさんありました。

悲しいし寂しいけれど、これが今の熊本城なんだな・・・と思います。
そしてこれからは、崩れた石垣も含めて
もう少し大切に熊本城を見ていきます。

 

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