お菓子の歴史

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和菓子と洋菓子の違い を調べているときに

気になっていた お菓子の神様 についてを
記事にする事ができました。
「お菓子の始まり」という流れからして
今回はお菓子の歴史について書いてみました。

なかなか奥深くおもしろかったです。
諸説あるかと思います。ご了承ください。

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上古時代 (弥生~飛鳥時代)

上古時代とは、大陸文化輸入以前で、
古代人にとっての菓子は、
天然の果物や木の実であり
『果子』であったと考えられています。
菓子は『果子』という字がもとで
今でも果物の事を「水菓子」と言ったりします。

さらに焼米、糒[ほしい]などの穀物の加工品も
菓子の類として用いられていたようで
餅、飴もすでにあったと思われます。

私達先祖の古代人は主食に米、粟、麦を食べ
その間に野生の木の実や果実を食べていました。

「菓祖神(かそしん)田道間守(たじまもり)」 
仕えていた垂仁天皇の命を受けて、
不老不死の理想郷「常世の国」)から、
「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)」(橘などの柑橘類=今のみかん)を
持ち帰った頃がこの頃です、お菓子の始まりです。
この頃はこのように「菓子」=「果物」だったようです。

唐菓子時代 (奈良~平安時代)

大陸との正式な交流が開始されると、
小野妹子や僧侶など遣隋使により、
穀物の加工品である大陸の菓子が輸入されました。

そして遣唐使が唐から持ち帰った
唐菓子(からくだもの)があります。
唐から伝わった果物という意味で
「からくだもの」と呼ばれました。
これはいろいろな形の揚げ餅のような感じです。

さらに遣唐使が唐菓子8種と
果餅(もち類の菓子)14種が伝えられました。
これらは上流社会の人気を集め、
この唐菓子が和菓子の形成に
大きな影響を与えたようです。

点心時代 (平安後期~室町時代)

菓子の発展に役立ったのが、お茶の伝来と普及です。
1191年、栄西によって茶が伝えられました。

茶と菓子を一組にする喫茶の風習が盛んになるとともに
茶の点心として菓子が用いられるようになりました。

饅頭、羊羹などの点心が
輸入され製菓術が急速に発達したのです。
点心とは茶道に使用する菓子のことをいい
定食と定食の間に食べる小食で
必ずしも菓子に限りません。

平安末期から鎌倉初期にかけて点心は
主として羮[あつもの]が用いられました。
羮とは蒸物を入れた汁で48種あったそうです。

喫茶が盛んになり、その添物(点心)として
羮[あつもの]が用いられるようになると
汁が不用になり蒸物のみになりました。

これが蒸菓子の起因です。
1341年には宋から饅頭が伝えられ、
蒸菓子が茶道の点心の主流になりました。

点心菓子は次の3種類に分類される。
・羹物(あづもの) 現在の味噌仕立てのすいとんのようなもの
・麺類(うどん、そうめん)
・蒸菓子(蒸まんじゅう、蒸羊かん)

南蛮菓子時代

室町時代(1543年)ポルトガル船が
種子島に漂着したのを始まりに、
鉄砲キリスト教の伝来などの他に
洋菓子カステラ、金平糖、ビスカウト、有平糖などが伝来しました。

当時ポルトガル人を南蛮人と言っていたので、
これらの菓子を南蛮菓子と呼びました。

南蛮貿易の出現は日本菓子にも大きな変革をもたらしました。
それは、白砂糖の大量輸入とその製法で
製菓材料として重要な役割を担うこととなりました。
砂糖の製法が伝来し栽培が盛んになり、
材料的にも技術的にもめざましい躍進を遂げました。

当時輸入された南蛮菓子
・カスティーラ ・ボーロ ・金平糖 ・ビスカウト(ビスケット)
・菓子以外 ・パン ・馬鈴箸 ・南瓜(カボチヤ) ・てんぷら等

京菓子・江戸菓子時代

菓子は京都(京菓子)と江戸(江戸菓子)の二系統に対立し
和菓子製造技術は大きく発展し、
現代の和菓子とほとんど変わらない
優れたものが数多く生まれました。

茶道とともに発達した趣味的・観賞用菓子は、
江戸時代後期には日本独特の情感や季節感を盛り込んだ
「京菓子(上級菓子)」になりました。
京菓子は江戸にはいり、一時期江戸は
京菓子全盛時代を迎えました。

この貴族趣味の京菓子に対して
蒸菓子、棹物・干菓子などに江戸独特の個性をもたせた
庶民的な長命寺桜餅、塩瀬饅頭、きんつば、大福など
雑菓子も作られました。
雑菓子を除く菓子を上菓子と呼びました。

上菓子・・・白砂糖の配給を受ける菓子司で作られたもの
雑菓子・・・街上で売られる駄菓子は白砂糖の使用が禁止され
黒砂糖が用いられて作られた菓子

明治時代以降

鎖国令が解かれ、外国文化が自由に収容される様になって、
文明開化の名の下に外国の文化が自由に入ってきました。
お菓子の世界にも、洋菓子製造技能や
洋風食材が導入されました。
しかし当初は、バターやミルクといった食材に
はじめはなじめませんでしたが、
明治8年銀座の米津風月が、
明治32年に森永が洋菓子専門工場を設立。
洋菓子製造会社が続出し
やがてキャンデイ、チョコレート、ビスケット、クッキーなど
基礎技術が確立され、その技術向上もめざましく
本格的に高級品をつくれるようになりました。

 

このように明治以降から和菓子以外のお菓子も
入ってきたのですね。
次回は現代に近いお菓子の歴史を書いていきます。

 

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お菓子の神様「田道間守命 たじまもりのみこと」

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以前、和菓子と洋菓子の違いについて調べているときに見かけた
お菓子の神様の件が気になっていたのですが
ようやく調べる事ができました。

お菓子にも神様がいるそうです。
お菓子の始まりは「橘(たちばな)」
今私たちが「みかん」とよんでいるものです 😳

是非読んでください。

 

菓祖神と呼ばれるお菓子の神様がいらっしゃいます。
今回は「菓祖神・田道間守命」(かそしん・たじまもりのみこと)について
調べてみました。

Wikipedia によりますと
田道間守(たじまもり/たぢまもり)は、記紀に伝わる古代日本の人物。
『日本書紀』では「田道間守」、『古事記』では「多遅摩毛理」「多遅麻毛理」と表記される。
天日槍の後裔で、三宅連(三宅氏)祖。現在は菓子の神・菓祖としても信仰される。
とあります。

具体的にどんなお方だったのでしょうか。

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新羅(しらぎ)国の王子天日槍(あめのひぼこ)の
子孫である田道間守(たじまもり)は、
仕えていた垂仁天皇の勅命により
垂仁90年(西暦61年)、不老長寿の霊菓を探すべく
常世の国(とよのくに・中国南部からインド方面)の
不老不死の理想郷に渡りました。

非時香具菓(ときじくのかぐのこのみ・今の橘=みかん)を
苦節10年かけて、和歌山県下津に上陸して帰朝しましたが
垂仁天皇は前年の秋に既に崩御されていました。

持ち帰った橘の木の半分を皇后に献上
嘆き悲しんだ田道間守は垂仁天皇の御陵に詣で
残りの半分を天皇の御陵(ごりょう)に捧げ
その場を去らず、絶食し殉死したと伝えれています。

垂仁天皇の御陵とされる奈良市の
宝来山(ほうらいやま)古墳には、
お堀に小さな島が浮かんでいます。
忠臣・田道間守命の墓と伝えられています。

後に聖武天皇が
「橘は果子の長上にして人の好む所なり」と記され、
菓子の最上品として珍重されました。
以降「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ・今の橘)を
持ち帰った田道間守を
菓子の祖(菓祖神=かそしん)としてに奉られています。

また、田道間守命が持ち帰った橘が
最初に移植されたのが「橘菓祖・橘本神社」の
旧社地である「六本樹の丘」であり
同社では御神体に「菓祖神・田道間守命」を奉っています。

橘本神社は田道間守命が帰朝の時に上陸した、
和歌山県海草郡下津町橘本に現存しており、
今でも全国の菓子業者の厚い信仰のもと、
大祭として4月3日(春祭・菓子祭・全国銘菓奉献祭)、
10月10日(例大祭・みかん祭)と年6回の中祭を行っています。

ちなみにこの「橘」は改良に改良を加えられ、
現在のミカンとなりました。

 

これは上古時代(弥生~飛鳥時代)のお話で
お菓子の歴史の一番最初の時代です。

次回はお菓子の歴史について書いていきます。

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和菓子と洋菓子の違い

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和菓子と洋菓子の違い ってご存知ですか?
なんとなく「和風」と「洋風」?って感じではないでしょうか?
実は和菓子と洋菓子には明確な違いがあるのです。
今日は和菓子と洋菓子の違いについて書いていきます。

実は私、お菓子屋サンに勤めております。
勤務歴25年。まあワタクシもいい年になります 😳
地元ではそこそこ名の知れたお菓子屋で
お客様はそこそこ高度なものを求められます。

お客様は販売員の私たちにいろんな事を聞いてこられます。

先輩にいつも「私たちはお菓子屋のプロよ」といわれました。
お菓子屋のプロとして知識が必要でした。

25年という歳月にはたくさんの学びがありました。
せっかくなのでこのブログの中でも紹介していきます[手(チョキ)]

ものすごく専門的な事ではないかもしれません。
また地域や習慣により「それ違うよ!」ということもあると思います。
でもこのブログを見ていただいた方の何かのお役に立てたら幸いです[わーい(嬉しい顔)]

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お菓子には最も大きな分類で「和菓子と洋菓子」があります。

今日はこの和菓子と洋菓子の違いを簡単簡潔に書いてみました。
簡単簡潔ではあるものの、和菓子と洋菓子には歴然とした違いがあります。

 

和菓子とは

・和菓子とは日本の伝統的製造法で作られた菓子のこと

動物性の原料が使われることは非常に少ない

・動物性の脂肪も使われず、強いて言えば鶏卵くらい

・和菓子で乳製品を使うことはほとんどない

・固める原料は寒天などの海藻類を使用

・低カロリーで食物繊維が多い傾向にある

・和菓子が茶道とともに発達を遂げたため、芸術作品としての側面も要求される

・工芸菓子分野では食用可能な和菓子の材料で花鳥風月の世界を表現する

 

洋菓子とは

・洋菓子とは西洋(主に西ヨーロッパ)に起源をもつ菓子の総称

伝統的に動物性の原料が中心

・高カロリー、高脂肪になりやすい

・製造する際にはバター、卵、チーズ、牛乳などの乳製品が使われる

・乳製品なしには洋菓子は成立しないといっても過言ではない

・固めるものは牛や豚の皮、結合組織から抽出したゼラチンを使用

・コーヒーや紅茶と一緒に食されることが多いものの美的要素は必須ではない

 

このように和菓子と洋菓子の違いの最も足るものは「原料の違い」です。
ただ、最近のスィーツブームや和スィーツでは
その両方の要素をもったような菓子が多く存在し、境界線がより曖昧になる傾向があります[たらーっ(汗)]

 

勤務先の菓子屋の製造部門では、何かイベントの時などに工芸菓子を作ることがあります。
その繊細な技術と完成度は感動モノです[ぴかぴか(新しい)]
花鳥風月の世界を表現する和菓子、日本の文化として末長く残ってほしいなと思うのです。

 

以上「和菓子と洋菓子の違いについて」でした。

 

お菓子に関して、いろんな視点から調べていきます。
お菓子の神様「菓祖神・田道間守命」(かそしん・たじまもりのみこと)についてです。
お菓子の神様がいるのです!!
はじまりは今のミカン??

ぜひご覧ください。
お菓子の神様「田道間守命 たじまもりのみこと」と橘(通称みかん)

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