お菓子の神様「田道間守命 たじまもりのみこと」

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以前、和菓子と洋菓子の違いについて調べているときに見かけた
お菓子の神様の件が気になっていたのですが
ようやく調べる事ができました。

お菓子にも神様がいるそうです。
お菓子の始まりは「橘(たちばな)」
今私たちが「みかん」とよんでいるものです 😳

是非読んでください。

 

菓祖神と呼ばれるお菓子の神様がいらっしゃいます。
今回は「菓祖神・田道間守命」(かそしん・たじまもりのみこと)について
調べてみました。

Wikipedia によりますと
田道間守(たじまもり/たぢまもり)は、記紀に伝わる古代日本の人物。
『日本書紀』では「田道間守」、『古事記』では「多遅摩毛理」「多遅麻毛理」と表記される。
天日槍の後裔で、三宅連(三宅氏)祖。現在は菓子の神・菓祖としても信仰される。
とあります。

具体的にどんなお方だったのでしょうか。

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新羅(しらぎ)国の王子天日槍(あめのひぼこ)の
子孫である田道間守(たじまもり)は、
仕えていた垂仁天皇の勅命により
垂仁90年(西暦61年)、不老長寿の霊菓を探すべく
常世の国(とよのくに・中国南部からインド方面)の
不老不死の理想郷に渡りました。

非時香具菓(ときじくのかぐのこのみ・今の橘=みかん)を
苦節10年かけて、和歌山県下津に上陸して帰朝しましたが
垂仁天皇は前年の秋に既に崩御されていました。

持ち帰った橘の木の半分を皇后に献上
嘆き悲しんだ田道間守は垂仁天皇の御陵に詣で
残りの半分を天皇の御陵(ごりょう)に捧げ
その場を去らず、絶食し殉死したと伝えれています。

垂仁天皇の御陵とされる奈良市の
宝来山(ほうらいやま)古墳には、
お堀に小さな島が浮かんでいます。
忠臣・田道間守命の墓と伝えられています。

後に聖武天皇が
「橘は果子の長上にして人の好む所なり」と記され、
菓子の最上品として珍重されました。
以降「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ・今の橘)を
持ち帰った田道間守を
菓子の祖(菓祖神=かそしん)としてに奉られています。

また、田道間守命が持ち帰った橘が
最初に移植されたのが「橘菓祖・橘本神社」の
旧社地である「六本樹の丘」であり
同社では御神体に「菓祖神・田道間守命」を奉っています。

橘本神社は田道間守命が帰朝の時に上陸した、
和歌山県海草郡下津町橘本に現存しており、
今でも全国の菓子業者の厚い信仰のもと、
大祭として4月3日(春祭・菓子祭・全国銘菓奉献祭)、
10月10日(例大祭・みかん祭)と年6回の中祭を行っています。

ちなみにこの「橘」は改良に改良を加えられ、
現在のミカンとなりました。

 

これは上古時代(弥生~飛鳥時代)のお話で
お菓子の歴史の一番最初の時代です。

次回はお菓子の歴史について書いていきます。

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