入院中の熊本地震。熊本城が崩れる姿が悲しくて寂しくて。

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来月で脳梗塞発症から1年です。
いくつかの後遺症はあるものの
生きていくのに支障はありません。

2016年3月11日転倒し、おでこを強打。
3月14日、おでこを強打した際の
反動(?)で首の後方に脳梗塞を発症。

10日の急性期入院後
3月25日リハビリ病院へ転院。
約3ヶ月の入院を経て7月中旬に退院。
発症から約4か月の長い長い入院生活でした。
現在自宅療養中です。

入院中の4月16日未明、熊本地震が起きました。

前震であった4月14日21時半ごろの地震。
すぐに娘に連絡したところ、大丈夫とのこと。
近くにすむ80歳近い母の様子も確認できました。
翌日は看護師さんやリハビリ先生方、患者さんたちと
前日の地震の話ばかり。
まさかこの日の夜中に本震があるなんて
夢にも思ってもいませんでした…

 

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16日午前1時半ごろだったでしょうか。
すごい揺れ、衝撃で目が覚めました。
えっ?と思ったら火災報知機が鳴りだし
この病棟で火災が起きてるとの放送が繰り返されます。

数分後。看護師さんが「本館に避難します」
6階に入院していたのですがエレベーターは使えないため、
自力歩行が可能な人から避難が始まりました。
私はまだ車イスだったため後回し… 😥
ただ火災はおきていない事もわかりました。
大きな揺れによりスプリンクラーが壊れ、水が出てしまったため
「火災発生」と認識されただけでした。

その点は安心したものの、水が流れてくるし、余震はおさまらないで
待っている時間がとても長かったこと。
そして年齢的には他の患者さんより若いのに、
何もできない、立つことすらできないことにもどかしさを感じました。

避難先の本館は数年前に新設された建物ですので
余震が続いていましたが、安心はできました。
寝床は、ロビーに所狭しと敷かれたマットです。
もともといた病棟の患者さん全員が
避難してきているため、大変な状態でした。
ただ、回復期病棟の患者さんで高齢者は多かったですが
ものすごく重篤な状態の人はあまりいなかったと思います。

娘とは地震直後に電話がつながり、みんなの無事を確認。
主人と娘、近くに住む姉と姉の長男、
やはり近くにすむ1人で住む80歳近い母。
近くの小学校に5人で避難し、一夜を明かしたそうです。
電気、ガス、水道がストップし
中でも水道復旧に時間がかかり、大変だったようです。
幸い、自宅には大きな被害はなく、翌日には帰宅。

私は、避難所さながらの状態のロビーで3日ほど過ごしましたが
水にも食糧にも困ることなく、外の様子はテレビで見るだけ。
そこは自分がよく知っている場所なのに
まるで他県で起きている地震の様子を見ているような錯覚に襲われ
「熊本で地震が起きた」という実感はありませんでした。

家族から聞くと、道路はいたるところに起伏が起き、
どこもかしこも大渋滞。
小さながけ崩れや、家屋の倒壊寸前、看板の落下など
それはそれはひどい状態だそうです。
私はそれを直に見るわけではなく
水や電気、食料にも困ることはなく、
いわば何不自由なく暮らせる環境にありました。
自分では「ありがたいな」と思ったのですが
私たち患者がロビーにマットを敷いて過している姿は
姉や娘には異様な光景と写ったようです。

私たちはそこで3日間ほど過ごし、別の病棟に引越しました。
そこは病院の中では一番古い建物で、使っていない病棟だったそうです。
もちろん、然るべき機関で安全確認等をした上での移動でした。
かなり狭い部屋ではありましたが
そこまで古いという印象はなかったです。

病棟に移ってからは、リハビリも再開し
日常が戻った感じでしたが
食事面では少しずつおかずが・・・。
備蓄していたものが底をついてきたのでしょうか。
ある日のおかずが、「しゅうまい2個」と「汁もの」だった時には
「やはり大変なのだなあ」と感じたものです。
それでも10日もすると食事面も
元の状態に戻って行きました。

 

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姉は会社に大きな被害が起き、1週間ほどの休業後
希望者は福岡支社での勤務となりました。
熊本再開まで1カ月ほどかかったでしょうか・・・。

主人の会社(私の勤務先でもある)は、工場が甚大な被害を受け
お菓子が作れませんので、全てのお店が休業でした。
主人は本社勤務のため、出勤していましたが
工場、店舗のスタッフは勤務できない状態だったようです。
営業再開までには数カ月かかり、大変な被害がありました。
今でも工場は機械の破損等で
100%の稼働ができていないそうです。

私は、地震の実感が薄く、ものすごく客観的に眺めていたのですが
熊本城の一部崩壊は、本当に悲しいものがありました。
別に熊本城が大好きだったわけでもないのですが
やはり、熊本人にとって熊本城はシンボルだったのだと思います。

脳梗塞発症時に入院していた病院は熊本城のすぐそばにあります。
そこからは熊本城が満開の桜とともに、とてもよく見えていました。
我が家からも少し移動すればお城の一部が見えていました。
あまりにも当たり前の光景で
何の感慨もなく過ごしていた日々でした。
熊本城の復興には30年かかると言われています。
生きているうちに見れるかどうか際どいところです 😥

今年の初詣は城内にある神社に行ってきました。
今まで通れたところが通行止めになり、駐車場も遠方です。
駐車場から歩いて行く途中には、地震の爪痕がたくさんありました。

悲しいし寂しいけれど、これが今の熊本城なんだな・・・と思います。
そしてこれからは、崩れた石垣も含めて
もう少し大切に熊本城を見ていきます。

 

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